石橋 通宏君 倉林 明子君 東 徹君 福島みずほ君 薬師寺みちよ君 公述人 三州製菓株式会 社代表取締役社 長 斉之平伸一君 日本労働組合総 連合会埼玉県連
もとより、先ほどもお話ししたように、埼玉県で久しぶりに大臣になっていただいて、日ごろから埼玉県連会長としても、大所高所から御指導いただいておりますし、また、特に私たち若手衆議院議員に対して、いろいろと本当に、時には兄貴分のように御指導いただいております。
埼玉県連の衆議院候補者の公募審査のときからの御縁ですが、新藤先生が大臣として、そして私が衆議院議員として、このように相対して委員会で質問できることをうれしく思っております。 さて、時間も限られておりますので、早速質問に入りたいと思います。 私は、自立と誇りある日本をつくるということを訴えております。その一つの手段として、地方分権改革を進めていくことが重要だと考えております。
実は、先般、我が党の同僚議員の家西議員が、民主党の埼玉県連でパーティーがありまして、それが終わってからエイズについての勉強会というか講演をされまして、映像を使っての講演でございましたんで、非常に私も胸に来るものがございました。
報道されただけでも、東京都連、高知県連、埼玉県連、鹿児島県議団、名古屋市議団、厚木市議会などが、総裁選の前倒しや総理の退陣を要求しております。国民の支持率低下に加え、自民党の地方組織からも総理退陣の声がほうはいとして沸き上がっているのは、前代未聞の事態だと言わなければなりません。 森総理退陣すべしという意見は、与党の良識ある国会議員の間にも多くあることは想像にかたくありません。
一九九七年ごろのことだと思うが、自由民主党埼玉県連から、KSD埼玉支局に段ボール箱が送られてきた。自民党埼玉県豊明支部の代表者あてのものだった。段ボール箱をあけてみると、自民党の党費を振り込むための用紙がぎっしり詰まっていた。党員の欄には、知っている埼玉県のKSD会員の名前が印刷されていた。
平和・改革として質問をさせていただきますけれども、大臣と論を交わすのは自由民主党の埼玉県連以来でございます。御活躍の様子でお喜びを申し上げます。お疲れのことかと思いますけれども、どうぞよろしくお願いいたします。
埼玉県連では、私どもも関根議員を中心に調査をいたしましたが、小選挙区の公認候補の選定は、まず各小選挙区を中心に十分協議をして選考することになっております。そこで選考された者を県連に上げ、県連はそれを党本部に推薦するという仕組みになっております。
そしてそのときに、七月三十日には白川大臣は、今回のこの茶谷氏をかなり強く推した、今はおやめになりましたけれども、自民党埼玉県連の幹事長に対して強い怒りを表明したと聞いております。そのときに、大臣は大変立派なことをおっしゃいました。その言葉は、こう聞いております。小選挙区制度は党営選挙であって、金や市長支援等で選挙すべきではないと。すばらしい言葉だと思いました。
それが七月前半で、その一カ月後に急速に、これだけの問題を抱えた、よくマスコミで言われている史上最悪の候補者、こういう人を擁立したということで、先ほどの自民党埼玉県連、じゃ、どういう処理をしたかというと、例えば、我が党のことを言うと、私も正直言って、何でこういう事件が起きたか残念でならないのですけれども、オレンジ共済のときに、西岡幹事長が何度も記者会見をして謝罪表明をしました。
○若松委員 では、まず先ほどの厚生省疑惑の問題に関して、私は、これだけ公務員の関与した大変重要な公認過程でありまして、特にその当事者でありました、埼玉県連会長の松永光衆議院議員、並びに県会議員の前幹事長の野本陽一氏、この二人の証人喚問を要求します。さらに、この村田士郎、医療法人のフィクサーとして非常に重要なかかわりを持っておりまして、これも証人喚問を要求します。
弁護士生活から県の弁護士会長に、さらに県会議員として県政に転じ、県政のベテランとして活躍をされ、藍綬褒章を受章、県議会議長に、さらに国政に転じてからは自民党埼玉県連の会長にと、向かうところ必ず頂点をきわめられ、ことしの地方選挙でも大きな成果を上げられました。いずれも、年月と経験、それぞれの分野における人間関係の円滑な完成を必要といたします。
昭和三十四年、新たに民主社会党の結成に参加せられ、中央執行委員、選挙対策副委員長、農林漁業対策委員長を経て、参議院議員会長、国会議員団副会長、党埼玉県連初代会長及び顧問等の要職につかれましたことは、なお私どもの記憶に新たなところであります。この間、農民運動においても、常に幹部として指導を続けられました。